国際農村医学会アジア部会の経過
1.
|
1972年5月、ブルガリア・バルナにて開催された第5回国際農村医学会議において、特に発展途上の農業国の多い、アジア地域における農業・農村医学会の必要性が強調され、日本が中心となって、地方部会を1973年中に開催するよう要請があった。
|
2.
|
この要請を受けて、日本農村医学会では、若月俊一を会長として開催することを決定、組織をあげて準備に取り組み、アジア各国に呼びかけた。
|
3.
|
1973年10月24日〜27日、佐久総合病院を会場として、第1回アジア農村医学会議が開催された。日本を含めて14カ国より334名が参加した。
|
4.
|
この時、国際農村医学会の地方部会として、国際農村医学会アジア部会が設立され、会長・若月俊一(佐久総合病院)、副会長 Prof. Ziai(イラン), Prof. Mukda(タイ)ほかの役員と、事務局長船崎善三郎(佐久総合病院)を決定、事務局は長野県南佐久郡臼田町、佐久総合病院内におくことが決められた。
|
5.
|
このアジア部会は、1994年3月、国際農村医学会理事会で正式に承認された。
|
6.
|
学術会議は国際農村医学会議と同時開催とし、資金や資源の節約、効率化を図ることとした。(2008年2月24日、第11回アジア農村医学会議総会で決定)なお、アジア部会の組織は継続する。
|
7.
|
現会長は中国農村衛生協会名誉会長・張 自寛先生。また、現在までのアジア学会開催は以下のとおりである。
|
ア ジ ア 農 村 医 学 会 議
回
|
会 期
|
開催地(国)
|
学 会 長
|
参加者(日本)
|
日本演題数
|
1
|
1973.10.24-27
|
長野県臼田町
(日本)
|
若月俊一
|
14カ国334名
(300)
|
54
(総計)
|
2
|
1975.4.21-24
|
テヘラン
(イラン)
|
M. Rahnema
|
(32)
|
16
|
3
|
1985.5.22-25
|
ソウル
(韓国)
|
趙 雲海
|
2カ国
名
(92)
|
50
(総計)
|
4
|
1988.10.6-9
|
北京
(中国)
|
顧 英奇
|
7カ国315名
(91)
|
35
|
5
|
1990.11.25-28
|
バンコク
(タイ国)
|
Mukda. T
|
16カ国300名
(46)
|
15
|
6
|
1993.1.22-24
|
ロニ
(インド)
|
A. Patil
|
6カ国400名
(宗教暴動のた
め日本からの
参加とりやめ)
|
14
|
7
|
1996.5.22-24
|
旭川市
(日本)
|
杉村 厳
|
16カ国260名
(139)
|
38
|
8
|
1999.11.11-14
|
広州市
(中国)
|
張 自寛
|
10カ国300名
(58)
|
29
|
9
|
2002.10.17-19
|
慶州市
(韓国)
|
姜福秀
|
16カ国300名
(51)
|
23
|
10
|
2005.11.24-26
|
鬼怒川(日本)
|
川村 功
|
19カ国300人
|
64
|
11
|
2008.2.22-24
|
アウランガーバード(インド)
|
Rajendra V. Patil
|
17カ国250人
|
8 (総計120)
|
第11回アジア農村医学学術会議総括について
アウランガーバード宣言
第11回アジア農村医学学術会議総会のスナップ写真
国際農村医学会アジア部会役員名簿
(第11回アジア農村医学会議総会にて改選、2008年2月24日、アウランガーバード、インド)
名誉会長 Myung Ho Kim(韓国)
会 長 張 自寛(中国)
副 会 長 Rajendra
V. Patil (インド)
副 会 長 川村 功(日本)
事務局長 夏川周介(日本)
理 事 別所隆(平塚市病院事業管理者・日本)、Jin-Su Choi(韓国)、 Li Feng (中国)、
藤原秀臣(土浦協同病院・日本)、Hyun-Sul Lim (韓国)、Pock-Soo Kang (韓国)、
Le Hung Lam (ベトナム)、A. Patil(インド)、立身政信(岩手大学・日本)、
Jay B. Tandan(ネパール)、Mukda Trishnananda (タイ国)